グスタフ•クリムト、1914年
© Wien Museum, Foto: Anton Josef Trčka

グスタフ・クリムトの経歴

グスタフ・クリムトは、装飾的な画風から出発し、世紀末の最も著名な肖像画家となりました。とりわけ、彼が女性を描いた肖像画は今や美術オークションで最高値を獲得しています。

1862
7月14日にウィーン郊外のバウムガルテンに生まれる。

1883
弟のエルンスト・クリムトとフランツ・マッチェの3人で芸術家商会「キュンストラー・カンパニー」を設立。

1890
弟のエルンストとフランツ・マッチェと共にハンス・マカルトが未完成だった美術史美術館の階段室の装飾を引き継ぐ。

1891
キュンストラーハウス(ウィーン芸術家協会)に加入。

1894
ウィーン大学の学部の絵(「哲学」「医学」「法学」)の依頼を受ける。この3枚の絵は外国で称賛されるが、オーストリア国内では、厳しいバッシングにあい、1905年にクリムトは契約を破棄。

1897
芸術家協会を脱退し、ウィーン分離派(セセッシオン)を共同で設立、初代会長を務める。

1898
ウィーン分離派の第1回、第2回の展覧会でクリムトの作品を展示。出品作「パラス・アテナ」(現在はウィーン・ミュージアムが所蔵)が厳しい批判を受ける。

1902
エミーリエ・フレーゲの肖像を描く。ブティックの経営者であったフレーゲは生涯の友人であった。この肖像画はウィーン・ミュージアムに展示されている。第14回のウィーン分離派展にベートーヴェンフリースを出展したが、作品は今日も見ることができる。

1904
ヨーゼフ・ホフマンがブリュッセルのストックレー邸の設計の依頼を受ける。クリムトは食堂のフリースを手がける。

1907
「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像I」を描く。今日ニューヨークのノイエ・ギャラリーが所蔵。

1908
1908年のウィーン芸術総合展のオープニングで絵画「接吻」を発表。クリムトの作品中最も有名な絵であり、現在はベルヴェデーレ宮殿が所蔵。

1911
「死と生」(現在、レオポルド美術館が所蔵)がローマの国際美術展で一等賞を受賞。

1918
脳梗塞により、2月6日にウィーンで死去。ウィーン・ヒーツィンガー墓地に埋葬される。

ウィーンにあるクリムト・ホットスポット:ベルヴェデーレ宮殿セセッシオン(ウィーン分離派会館)、レオポルド美術館ウィーン・ミュージアム・カールスプラッツ、演劇博物館、ブルク劇場、美術史博物館アルベルティーナ美術館MAK‐応用美術博物館クリムト・ヴィラ

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