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オットー・ワーグナー、ポートレート

オットー・ワーグナーの経歴

ウィーンのためオットー・ワーグナーが設計したスペクタクルな建築は、美しいだけでなく、現在も完全に機能しています。彼はすでに当時から、ウィーンのように急速に拡大する都市を如何に計画・開発すべきか見極めていたのです。

1841
6月13日ウィーンに生まれる。

1861
ベルリンの建築アカデミーで学んだ後に、ウィーンに戻る。

1862
ウィーン美術アカデミーにおいて建築家ジッカーズブルクとファン・デア・ヌル(ウィーン国立歌劇場を共同設計)に師事し、卒業後リング通りを設計したルードヴィヒ・フォン・フェルスターのアトリエに就職。

1867
ベルリン大聖堂の建築コンペに参加。

1879
皇帝フランツ・ヨーゼフと皇妃シシィの銀婚式パレードのためにブルク門前に設営された宮廷テントの装飾を手がける。

1886〜1888
ウィーン市郊外にワーグナー家のためのヴィラを設計。今日、オットー・ワーグナー・ヴィラIにはエルンスト・フックス美術館が入っている。

1890
最初の作品集「略図、プロジェクトおよび実施した建造物」を刊行。1897、1906、1922年に更に作品集を刊行。

1893
ウィーン「都市計画プロジェクト」コンペのうちのつをワーグナーが勝ち取る。ウィーン市の交通施設・ドナウ整備委員会に参画。ウィーン市営鉄道(今日の地下鉄U4とU6号線)とドナウ運河の画期的な構想と建物を設計。

1894
ウィーン美術アカデミー教授およびウィーン美術アカデミー・建築学校校長に任命される。

1898/99
ウィーン・ツァイレ通りの左側に3棟の集合住宅およびオフィスビルを設計:マジョリカハウス、コロモン・モーザーの金細工が施された集合住宅そしてケーストラーガッセの集合住宅。

1903〜1907
アム・シュタインホーフ教会を設計・建設。

1904
リング通りのオーストリア郵便貯金局の建設が始まる(1906年竣工)

1913
1911年に売却したヴィラIの隣にワーグナー・ヴィラIIを建てる。

1918
4月11日に、丹毒のため死去。ヒーツィンガー墓地に眠る。

ウィーンにおけるワーグナーのホットスポット:オーストリア郵便貯金会館、ウィーン・ツァイレ通り沿いの集合住宅、ウィーン・ミュージアム、カールスプラッツ駅パビリオン(常設展)、ホーフパビリオン・ヒーツィング、シュタインホーフ教会。

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