ハウス・オブ・シュトラウス - シュトラウス・ホール

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ハウス・オブ・シュトラウス

ウィーンにゆかりが深く、モーツァルトと同じく世界的に有名な音楽家ヨハン・シュトラウス2世。彼が作曲した「美しく青きドナウ」は、作品が誕生した1867年以来、世界中の人々を魅了し続けています。世界90か国で放送されるウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでは定番のワルツです。2023年、予定では夏か秋以降に、ウィーンの新しい会場でシュトラウスという人物の魅力とその音楽を、本人ゆかりの場所で体験することができるようになります。シュトラウスという人物の魅力やその音楽を本人ゆかりの場所、カジノ・ツェーゲルニッツのハウス・オブ・シュトラウスで体験できるようになります。市立公園の黄金のシュトラウス記念像、プラーター通りのシュトラウスの住居、中央墓地の名誉区にあるシュトラウスの墓に並ぶ、新しいスポットです。

美しいコンサートホール

ここがシュトラウスゆかりの場所とされる理由は、その歴史にあります。1837年にウィーンの社交場としてカジノがオープンした際、セレモニーを仕切ったのがヨハン・シュトラウス1世でした。1850年の夏には、その息子ヨハン・シュトラウス2世がここでウィーン市民のためのお祭りを開き、華やかな舞踏会や美しいイルミネーション、花火などで人々を楽しませました。父親譲りの派手好きで、このイベントに仰々しいタイトル(「豪邸の華やぎ」)を付け、ワルツ「蛍」を作曲しました。

1880年以降、カジノの美しいシュトラウスホールでは、ヨハン・シュトラウス2世と弟のエドゥアルトが数々のコンサートを開きました。その後は舞台、野外映画、パーティーや舞踏会の会場など、さまざまな用途に使われました。ホールは音響に優れていたため、1967年以降はニコラウス・アーノンクール指揮によるコンツェントゥス・ムジクスの演奏といった古楽やクラシック音楽の録音が行われました。

展覧会・音楽・グルメ

ハウス・オブ・シュトラウスでは、古き良きウィーンの人生の楽しみ方を思いの限り体験することができます。それはまさに文化と享楽の融合です。ハウス・オブ・シュトラウスでは、定期的なコンサートで軽快なクラシック音楽を鑑賞し(予定では2024年からシュテファン・グランツシュニッヒのレストランでのグルメを味わい、シュトラウス・ファミリーの遺産をいきいきと伝える体験型展示(予定では2024年秋から)を楽しむことができます。もちろん、設備には最新のマルチメディア・オーディオビジュアル技術を駆使しています。

このハイレベルなミュージアムは、世界で高い評価を受けているアトリエ・ブリュックナーによって実現されました。大エジプト博物館(ギゼ)や未来博物館(ドバイ)などを手がけたチームです。アトリエ・ブリュックナーは、ウィーンのオーストリア国会議事堂の改修工事も請け負いました。

体験型展示

建物の上の階へ上がっていくと、舞踏会、コンサート、ガーデンパーティなど、19世紀ウィーンの娯楽文化の世界が広がります。シュトラウス・ファミリーといえば、やはりはエンターテインメントでしょう。その音楽を聴けば、誰でもじっとしていられなくなります。そのほかにも当時の時代思潮、フランツ・シューベルトなどの先駆者たち、シュトラウスというブランドアイデンティティシュトラウス・ファミリーオペレッタといったテーマが取り上げられています。1階にある八角形のスペースでは、動くスクリーンで「美しく青きドナウ」の歴史が紹介されています。ヨハン・シュトラウス2世によるこのワルツは、ウィーンとオーストリアの第二の国歌といわれています。ウィンナワルツは今日、音楽の意味でもダンスの意味でもウィーンを代表するもので、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。 

シュトラウスのエキスパートたち

ハウス・オブ・シュトラウスでは、世界有数の専門家たちが活動しています。シュトラウス一族の末裔の一人、ヨハン・シュトラウス1世の玄孫にあたるエドゥアルト・シュトラウスさんが代表を務めるウィーン・シュトラウス研究所は、ここを新たな拠点としました。法律家であるシュトラウスさんは、一族の歴史や音楽について薄っぺらい扱いをせずに、本格的な研究を行っていきたいとしています。

有数のシュトラウス通といえば、個人コレクション(世界最大のシュトラウス・コレクション)と知識の両方を提供するヘルムート・ライヒェナウアーさんです。また、ハウス・オブ・シュトラウスは育成機関でもあります。世界中から集まった才能ある若手音楽家たちをウィーンマスタークラスで指導しています。まさに音楽の都ウィーンを体現する場所のひとつです。

シュトラウスと万博

ヨハン・シュトラウス2世は、質の高いエンターテインメントの演出に長けていたと同時に、マーケティングのプロでもありました。コンサートツアーではロシアやアメリカにまで出かけました。そして1873年の一大イベントとして取り沙汰されたウィーン万博では、自ら率いる楽団の特別公演を行う許可を取りつけます。ところが、5月1日にロトゥンデで開かれた万博オープニングコンサートは、未完成の建物の工事の騒音と音響の悪さに悩まされました。その後、急きょ建てられた音楽館での演奏も大盛況とはいえませんでした。楽団だけが屋根で覆われた場所に座り、チケットの値段は高く、シュトラウスがほとんど自らタクトを振らなかったためです。それでもシュトラウスが万博会場の外の、よりよい環境でコンサートを開くことにすると、事態は好転しました。こうして1873年8月22日、万博オーケストラとウィーン男声合唱団、4つの軍楽隊が参加した大規模な祝典が催され、大成功を収めました。

ヨハン・シュトラウスと弟のエドゥアルトは、万博での公演のために新しい作品を手がけました。ヨハンは「ロトゥンデ館のカドリーユ」とポルカ・シュネル「ドナウの岸辺より」を、エドゥアルトはワルツ「博覧会」 を作曲しました。ウィーンの新しい上水道の完成を記念する大噴水の開設を機に、エドゥアルトはポルカ・マズルカ「高い泉」も作曲しましたが、初演されたのは1874年2月9日のことでした。

ヨハン・シュトラウスは、すでに1864年に「ペルシャ行進曲」を発表していました。これは、物議を醸したペルシャ国王ナーセロッディーン・シャーの万博訪問の際に、当時演奏を準備できなかったペルシャ国歌に代わって披露された作品です。国王はこの曲を気に入り、ヨハン・シュトラウスにペルシャ太陽勲章を授けました。

1873年11月4日には、万博の中国代表団が楽友協会での夜会に招かれました。その際、ヨハン・シュトラウスがウィーン・フィルを指揮し、その比類なきワルツ「美しく青きドナウ」を披露しました。

プレイリスト 1873年ウィーン万博の音楽

ウィーンでシュトラウスゆかりの地めぐりに出かけませんか。街にはシュトラウスに縁のある場所が目白押しです。

House of Strauss im Casino Zögernitz

Döblinger Hauptstraße 76
1190 Wien
  • 営業時間

    • Die Ausstellung eröffnet im Frühling 2023 / Exhibition opening in 2023

Casino Kulinarium at the Casino Zögernitz

Döblinger Hauptstraße 76
1190 Vienna

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